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<浦項地震>40余回の余震に眠れない住民800人、氷点下近い環境で一夜過ごす

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
16日午前6時、慶尚北道浦項市北区興海邑(キョンサンブクド・ポハンシ・プック・フンヘウプ)の興海室内体育館。にわかに罹災者になってしまった人々が朝食を食べようと体育館前に長い列を作った。外の気温は2.7度。寒さのためぶ厚い毛布で全身を何重にも覆ったこれらの人々は互いの体温に頼った。ある子どもが純真な表情で「お母さん、もう家に帰れないの」と言った。前日に発生したマグニチュード(M)5.4の地震で800人余りの市民がこの体育館で一夜を過ごした。夜はとても長く感じられた。夜が明けるまで赤ん坊の泣き声や人々のため息の声だけが体育館を埋めた。

幼い2人の娘と一緒にやってきたパク・ソンヒさん(47)は「避難所が一番安全だろうと考えて来たが、余震がずっと感じられて今も怖い」と話した。キムさん(77)は「大型車の音を聞いただけでも心臓が破裂するかと思うほどだが、どうしたらよいのか」と訴えた。夜に余震が発生すると、一部住民は悲鳴をあげて飛び起きた。15日午後から16日午前まで40回余りの余震が発生した。

慣れない環境でなかなか眠りにつけない赤ちゃんが泣き止まずにいると、母親はどうしていいか分からない様子だった。年配の人は「大丈夫」と言って、慌てている母親の背中を優しく叩いた。高3の受験生は避難所で勉強し、結局この日早く家に帰った。そのように市民は互いに慰め合いながら夜を明かした。


地震のトラウマを訴える住民も多かった。頭痛・消化不良症状を示したり、動悸が収まらないと訴えた。興海ウリィ薬局で薬剤師をしているイ・ムンヒョンさん(46)は「鎮痛剤・消化剤・清心丸などを持ってきた」とし「夜中に30人を越える年配の方々がやって来て胸の痛みなどを訴えた」と語った。この日午前には善隣(ソンリン)大病院と浦項医療院から医療スタッフがボランティア活動のためにやって来た。午後3時を基準に、避難所にいる800人のうち100人程度が診療を受けた。善隣病院のソン・ミンギョン医師は「2人は高熱と高血圧で救急車に乗って病院に行った」と説明した。

避難してきた大学生は一日ボランティアメンバーとして活動した。浦項大応急救助学科の学生11人がその主人公だ。3年生のイ・スルギさん(21)は「寮暮らしをしているが、避難所に移動するよう言われて来て、ボランティアに志願した」とし「寒いのでカップラーメンでも召し上がりながら住民の皆さんには頑張っていただけたらと思う」と話した。

救援物資も続々と届いている。昨年地震の被害を受けた慶州(キョンジュ)が真っ先に毛布1000枚を送った。ポスコは弁当250個を送り、興海邑役場の職員45人と浦項市(ポハンシ)公務員100人余りもこれに参加した。避難所付近に住む住民から「家に水が漏れる」という届け出があると、職員は「すぐに処理するので、心配せずに安全なところに避難してください」と元気づけた。

今回の浦項地震で1346人の罹災者が10カ所の避難所に退避したことが分かった。昨年の慶州地震の学習効果で、避難過程は比較的迅速に行われた。震央地付近の興海邑の韓東(ハンドン)大学では、地震発生10分で校内の学生(4000人余り)の90%が約束された避難場所である運動場に集まった。同校は講義棟と寮の外壁が大きく破損し、学校全体のエレベーターが止まるという緊迫した状況に置かれていたが、総学生会が主導した迅速な避難で軽傷者2人(擦過傷)を出すのみだった。

震央から500メートル離れた興海小学校でも慶州地震以降に実施した防災避難訓練法によって児童・教師100人余りが崩壊した建物から無事に脱出した。釜山市東区(プサンシ・ドング)にある企業銀行の職場託児所は地震が発生すると昼寝をしていた子どもたち約20人を起こして自転車用ヘルメットを着用させて近くの避難場所に避難させた。



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